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Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。

本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
入会や講習会についてのご案内は通備拳斬卸会HPを御覧ください。

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武術パフォーマンスをぶっ潰せ!

youtubeで武術関連の動画を見ていると,関連動画としてよく出てくるのが武術パフォーマーたちの動画です。
まあ曰く,受けられない手刀だの,見えない突きだの,人間を操り人形にする関節技だの,
この21世紀の時代に相変わらずそんなことをやっているのかとアホらしくなります。
はっきり言ってそんなもの本気で抵抗する相手にかかるわけがないのだから,
武術を追求するうえでは極めて横道というか,おまけみたいなものでしょう。
いや,武術パフォーマンスをやるなというわけではないです。ただ,やるならやるで,これは飽くまでパフォーマンスであって現実的な技術ではありませんと,
一言ことわって欲しいなと。でないといつまでたっても非現実的なものを信奉する信者を増やすだけで,武術に対する研究理解への妨げになるだけです。
何度も言っていることですが現在の武術に必要なものは組手,
つまり対抗性運動の確立です。
既存の格闘技のモネマネにならないよう,自分がやっているジャンルの技術体系を壊さないように組手をするためのルール設定,
そのための理解を広めるということが最重要課題です。
あ,そういえば以前,BB弾やら野球の球やら刀で切ってすごいとか言われていた人がいましたけど,そういった技術も武術とは無関係なのでだまされないようにしましょう(^▽^)/

対複数戦の達人 トニー譚

現在当会は対複数を想定した技術研究に力を入れています。そうして分かってきたことは,武術の型には対複数を想定した技が多く存在するということです。格闘技的な観点で考えると意味不明な動作が,例えば対複数を想定すると合点がいくということが武術をやっていると本当によくありますね。
さて,中国武術をテーマにした傑作漫画に「拳児」がありますが,この漫画に主人公の拳児のライバルキャラであるトニー譚が複数の相手と戦うシーンがあります。
この時のトニー譚の動きが対複数戦を考えた場合に非常に理に適ったものになっています。
それではそのシーンを見てみましょう。

背後から襲ってくる相手を,
toni2.png

toni1.png
ノールックで迎撃! 

toni3.png
さらにノールック攻撃が炸裂! 

このように対複数を考える場合,前を打つふりして後ろを打つようなフェイント攻撃が不可欠です。 

武術には突然後ろを攻撃するような反転動作が多く出てきますが,対複数を考えた場合,そういった動作は極めて有効です。
もしかしたらこのシーンは原作者である松田隆智先生の経験から来ているのかもしれませんね。
さすがと言うほかないです。

通備拳斬卸会はこれからも武術の秘密をどんどん解明していきますよ,こうご期待(^▽^)/

対複数を想定した正しい戦い方はコレだ!

武道や格闘技の試合においては,常に一人の相手を想定した戦い方になります。しかし武術の場合,相手が複数いるというシチュエーションも当然想定されるものです。相手が複数いるような場合,いったいどのように戦えばよいのでしょうか?
まずは相手が二人いたと考えましょう。
snap_gongze_202032164113.jpg


この時やってはいけないことは,例えば柔道やボクシングの試合のように,普通に相手のうちの一人を攻撃に行ってしまうということです。
snap_gongze_202032164621.jpg

このようなことをしたら確実に,残ったほうの一人があなたの背後から攻撃を加えてくるでしょう。
ですからまず気をつけなければいけないことは常に移動すること。挟み撃ちの状態を作られてしまうのが一番危険なので,この状態にならないように動き続けます。
snap_gongze_202032165113.jpg


よく対複数を想定したのポジショニングというものが言われることがあって,それはどういうものかというと,相手が複数いても一対一の状況に持ち込めるように移動するというものです。
snap_gongze_20203216569.jpg


人によっては敵の一人を盾にするとかファンタジックなことを言い出したりしますが,まず不可能です。まあ,どーしよーもないアホばかりを相手にするというのならありかもしれませんが,常識的に考えて相手の方でもそんな一対一の状況には持ち込ませないように頑張って動いてくるわけですから,いくらポジショニングしようと頑張ってもまず無理です。
ならばどうすればいいのか?正解は,一方の敵を攻撃するふりをしてもう一方の敵を攻撃するというものです
snap_gongze_20203217035.jpg
snap_gongze_2020321754.jpg


正直言って,対複数を想定した場合これ以外に有効な手はありません。あるというのであればぜひ実演してもらいたい。
武術の型をやっていると,前を攻撃していると思ったら突然後ろを攻撃するような動作が入ったりして,「いったいこれは何なんだ?」と,思ったりすることがありますが,対複数を想定したフェイントであると考えると非常に納得できるものがあります。とくに劈掛拳のように腕を振り回しながら動き回るような動作は対複数では有効な動きだと改めて実感します。
ボクシングやキックボクシングのようなステップワークから技を出す動きというものは,リングの様に囲まれた空間において相手が一人の場合はとても有効ですが,開いた空間において相手が複数いるような場合には役に立ちません。
それに対して武術の動きというものは通常の歩み足から技を繰り出せるようになっているので,これは開いた空間において移動しながら技を繰り出すことを可能にし,対複数相手にとても有効です。
やはり昔の人の知恵というものは型を通して現代にまで伝えられているんですね(^_^)v

「実戦的という名の誤謬」と武術のOS化について

みなさんはこんなことを思ったことはないでしょうか?
「ボクシングよりもキックボクシングのほうが実戦的である。なぜなら蹴りもあるから。」
「キックボクシングよりもシュートボクシングのほうが実戦的である。なぜなら蹴りも投げもあるから。」
「シュートボクシングよりも総合格闘技のほうが実戦的である。なぜなら蹴りも投げも寝技もあるから。」
これは私が「実戦的という名の誤謬」と呼んでいる誤った考え方です。
実は私もかつてはこの誤謬に洗脳されていたことがあります。梶原一騎的な考えのもとに行われていた異種格闘技戦などの影響を真に受けて「最強の格闘技は何か?」などと本気で考えていたりしましたが,いや~アホ丸出し ですな。
ではこの考え方の何がおかしいのでしょうか?
そもそも「実戦」などというものは具体的に定義できるものではありません。ある人にとってはステゴロタイマンが実戦的であり,またある人にとっては軍事作戦みたいなものが実戦的だったりします。つまり百人いれば百人それぞれが思い浮かべる「実戦」というものが存在してしまうわけです。例を挙げれば総合格闘技でいくら強くなろうと相手が銃を持っていれば射殺されて終わりです。そんなものが実戦的だと言えるのかという話です。要するにボクシングもキックボクシングも総合格闘技も飽くまでそういったジャンルに過ぎないということであり,「実戦的」かどうかとは無関係であるということです。
さて,それでは我々がやっている武術について考えてみましょう。武術における実戦とは槍や刀が出てくる戦いのことです。私が何度も言っているように武術とは武器術のことであるので拳術は武器術の補助として存在しています。つまり武術においては拳術と武器術というものは互換性を持っていなければなりません。
そう考えていくとはっきりすることがあります。現在の総合格闘技ではタックルや寝技がメインの戦闘手段になっていますが,一方でなぜ武術にはタックルや寝技が全くと言うわけではないがほとんど存在しないのか?
まず,相手が武器を携帯している可能性が高いときにタックルのように組み付く攻撃は刺されてしまう危険性が高いです。また,現実的な戦闘はめまぐるしく状況が変化するので常に二本の足で立ち続けて移動手段を確保しておくことは絶対に必要となります。つまり武術の戦いにおいてはタックルや寝技に対処する必要性は極めて低いということになります。むしろタックルや寝技に注力することはコストの無駄使い,非実戦的であると言えるでしょう。
しかし,格闘技的な情報が溢れる現代においては護身術的な観点からタックルや寝技への対処が必要になるのかもしれません。(それでも極めて低い可能性だとは思いますが)
では,自分がやっているジャンルの技術体系にない技に対応するにはいったいどうしたらいいのでしょうか?
そこで重要になるのは武術をオペレーションシステム(OS)とみなす考え方です。
我々がパソコンで色々なソフトを使用することができるのはOSのおかげなわけですが,ソフトというものは日々新しいものが開発されているので,従来のOSでは使用できないものもいずれ出てきてしまいます。そんな時はOSをバージョンアップさせて,新しく出てきたソフトにも対応できるようにするわけです。
武術の場合もこれと同様に,自分がやっているジャンルの技術体系を壊さないように自分がやっているジャンルの技術体系に無い技に対応できるようにバージョンアップさせればよいわけです。
具体的にはタックルに対して,私は以前に動画で八極拳の技術での対処法を紹介したことがあります。


寝技はどうでしょうか?私は柔道をやっていたので抑え込みからの逃げ方などはよく分かるつもりです。その経験に照らしてみると,推手の方式を応用して寝技に対処する練習体系を作ることは可能だと思います。
しかし何度も言うように,まず使わないようなものに余りに多くのコストを割くということは非効率であることは踏まえるべきでしょう。

武術の動きとは動物的本能の動きに反するものである

今回は武術の成り立ちについてちょっとした歴史の話をします。
そもそも武術とはどのようになりたっていったのか?実は,武術の成り立ちと人間社会の形成とは同時進行的なものだったりします。
我々人類の祖先は猿であり,もともとは木の上で生活していたと言われています。しかしあるとき,何が原因だったのかは定かではないですが我々の祖先は木の上の生活を捨てて地上に降りてきました。当時の地上は恐ろしい牙や爪を持った猛獣が多数闊歩する地獄のような場所です。対して我々の祖先はそのような牙や爪などは持ち合わせていません。このままでは我々の祖先は猛獣たちの単なる餌となってしまうわけですが,そこで彼らはどうしたか?
彼らは手に武器を持つという選択をしました一番最初の人類の武器となったもの,おそらくそれは握りこぶしくらいの石ころだったと思われます。右手に石を掴んで頭上に振り上げ,振り下ろす,これこそが最も原始的な武術の動きになったわけです。そして我々の先祖は手にした武器をパワーアップすることをひらめきます。植物の蔓を使って「縄」が作れるようになると,その縄で石を棒の先に結び付けて「石斧」を作りました。これによってより遠くの敵により強力な打撃を与えることができるようになります。さらに石を削って尖らせるという技術を身に付けると,その尖らせた石を長い棒の先に取り付け「矛」を作りました。そして「弓矢」を作るようになりました。こうしてみると武器がパワーアップするにつれて威力と射程距離がどんどん上がっていったわけですが,それにつれて従来の身体の使い方を変えていく必要に迫られるようになります。石ころが武器であるときは動物の本能的な動き,すなわち子供の喧嘩のように体の正面を相手に向けて両手をぐるぐると振り回す動きでもよいのですが,これが斧や矛など長い柄を持つ武器になったとき,体の正面を相手に向けていてはせっかくのリーチを生かした戦い方ができなくなります。そこで半身を切った状態から武器を使うという技術が発達していきました。弓矢を使うときも身体は半身を切るわけです。こうして強力な武器を手に入れ,その使い方を身に付け,言葉も身に付けてチームプレーも可能とした我々の祖先は周囲の猛獣を駆逐し,共同体を作って集団で生活するようになります。これが今日の社会へと続くわけです。つまり人類が現在の世界を支配するようになったのは本能的な動きを捨てて人工的な動きを身に付けたからであると言えるでしょう。もしわれわれの祖先が本能的な動きしか持たなかったら,周囲の猛獣に食われて絶滅していたと思います。まとめると,社会の形成と武器の発達というものは同時進行で進んでおり,その発達していく武器を操るために人類は人工的な動きを身に付けていった。そしてその人工的な動きこそが武術なのです。何度も言いますが武術とは武器術のことです。
(参考書籍 馬賢達著 中国短兵)

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