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Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。
本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
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私もゆくゆくは生徒を試合に出してみたいと思いますが、こうはなりたくはないなという指導者像があります。それは生徒の頑張りを自分の手柄のように言いふらすタイプの人です。理論家を気取る人などに多いのですが自分の生徒が試合に出てたまたま勝ったりすると「な、俺のおかげだろ」と恩着せがましく言う人、生徒の勝利の結果は全て自分が教えたからこそだと言いたいわけです。そのくせ生徒が負けたときには「あいつなんか全然だめだよ、俺の言うこと聞かねえんだもん」などと吐き捨てるように言ったりする、もはや人間として最低だろうと思います。本来ならば生徒が勝てたならば生徒自身の努力や工夫を称えるべきであり、生徒が負けたならば己の指導の至らなさを反省するのが正しい姿ではないでしょうか?「生徒が言うことをきかない」ではなく、生徒自身も言われた通りやりたくてもやれない、ではそれはなぜか?どうすれば伝わるのか?を突き詰めて考えていくのが真の指導者だと思います。酷いのになると生徒が全く教えたとおりの動きをせず無茶無茶に拳を振り回したら勝ってしまったなんて時も「俺の理論のおかげだ」とかいう人がいます。以前書いた後件肯定の誤謬もくそもなく勝てば自分の手柄にするというのはあきれるばかりです。
通備拳斬卸会では必ず手本を見せるようにします。口だけ、もしくはお約束の練習だけでどうすればいいかが伝わるわけがありません。約束のない自由攻防の中で手本を見せられるからこそ、生徒にどうすればいいかが伝わるのだと思います。
既存の中国武術教室に不満を感じる方は是非当会への入会をご検討ください(^-^)/
通備拳斬卸会では必ず手本を見せるようにします。口だけ、もしくはお約束の練習だけでどうすればいいかが伝わるわけがありません。約束のない自由攻防の中で手本を見せられるからこそ、生徒にどうすればいいかが伝わるのだと思います。
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後件肯定の誤謬、または後件肯定の錯誤という言葉をご存知でしょうか?これは理論の確立などをするときに重要な概念です。
どういうものかと言いますと、PならばQである、Qである、だからPであるという考え方は間違いであるというものです。
何を言っているのかわからないですね、具体例を挙げましょう。例えばここに論文があったとします、この論文にはSTOP細胞なるものを作るための理論が書かれていますが果たしてその理論が正しいかどうかはわかりません、そこでその理論に従って実験をしたところSTOP細胞が作れてしまいました、だからこの論文に書かれた理論は正しい、と考えるのは間違いだというものです。なぜならその理論以外の要因でSTOP細胞が作られたという可能性を排除できていないからです。こういう錯誤的な言い回しは格闘技の世界にもあります。例えばAという格闘技のトレーナーがいたとします。Aは格闘技における画期的な理論を思いつき、それをBという格闘家に教えたとします。Bは格闘技の試合で見事に勝利、そこでAは「俺の理論のおかげだ」と声高に宣伝するのです。しかし、別にそんな理論など無くてもBは勝っていたかもしれないのです。
なぜこんな話をしたかというと武術の世界にはこうした錯誤的な言い回しがとても多いからです。例えばこの本。
この本の最後の方で、著者の生徒の一人が八極拳の突きでサンドバッグを突いたところサンドバッグを吊るす紐がちぎれてサンドバッグは吹っ飛んでいったというエピソードが書いてあります。著者はそのことを八極拳の突きは威力があるという根拠にしていますが、本当に八極拳の威力によるものなのかはわかりません。そもそも人力で切れるような紐でサンドバッグを吊るすことに問題を感じます。
こうした錯誤に陥らないよう冷静な分析力を備えることは武術修行をするうえで不可欠と言えるでしょう。
どういうものかと言いますと、PならばQである、Qである、だからPであるという考え方は間違いであるというものです。
何を言っているのかわからないですね、具体例を挙げましょう。例えばここに論文があったとします、この論文にはSTOP細胞なるものを作るための理論が書かれていますが果たしてその理論が正しいかどうかはわかりません、そこでその理論に従って実験をしたところSTOP細胞が作れてしまいました、だからこの論文に書かれた理論は正しい、と考えるのは間違いだというものです。なぜならその理論以外の要因でSTOP細胞が作られたという可能性を排除できていないからです。こういう錯誤的な言い回しは格闘技の世界にもあります。例えばAという格闘技のトレーナーがいたとします。Aは格闘技における画期的な理論を思いつき、それをBという格闘家に教えたとします。Bは格闘技の試合で見事に勝利、そこでAは「俺の理論のおかげだ」と声高に宣伝するのです。しかし、別にそんな理論など無くてもBは勝っていたかもしれないのです。
なぜこんな話をしたかというと武術の世界にはこうした錯誤的な言い回しがとても多いからです。例えばこの本。
この本の最後の方で、著者の生徒の一人が八極拳の突きでサンドバッグを突いたところサンドバッグを吊るす紐がちぎれてサンドバッグは吹っ飛んでいったというエピソードが書いてあります。著者はそのことを八極拳の突きは威力があるという根拠にしていますが、本当に八極拳の威力によるものなのかはわかりません。そもそも人力で切れるような紐でサンドバッグを吊るすことに問題を感じます。
こうした錯誤に陥らないよう冷静な分析力を備えることは武術修行をするうえで不可欠と言えるでしょう。
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