プロフィール
Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。
本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
入会や講習会についてのご案内は通備拳斬卸会HPを御覧ください。
リンク
最新記事
- 2023年のお知らせ (06/02)
- 拝師を自慢する奴はほぼほぼクズ (02/16)
- 体験入会に来た方とお手合わせしました。 (12/26)
- 神秘系武術から迷信系武術へ (12/03)
- あんなことができれば苦労はしない。 (08/03)
最新コメント
- gongze:体験入会に来た方とお手合わせしました。 (01/02)
- 新堂功太郎:体験入会に来た方とお手合わせしました。 (01/02)
- gongze:あんなことができれば苦労はしない。 (12/05)
- 名無しに返信は不要:あんなことができれば苦労はしない。 (12/05)
- gongze:あんなことができれば苦労はしない。 (11/17)
- 佐々木:あんなことができれば苦労はしない。 (11/17)
- 名無しに返信は不要:2023年のお知らせ (08/26)
月別アーカイブ
- 2037/06 (1)
- 2022/02 (1)
- 2021/12 (2)
- 2021/08 (1)
- 2021/07 (4)
- 2021/04 (1)
- 2021/02 (2)
- 2020/12 (1)
- 2020/05 (1)
- 2020/04 (2)
- 2020/03 (2)
- 2020/01 (1)
- 2019/12 (1)
- 2019/11 (2)
- 2019/10 (4)
- 2019/09 (3)
- 2019/08 (2)
- 2019/07 (2)
- 2019/06 (4)
- 2019/05 (3)
- 2019/04 (3)
- 2019/02 (2)
- 2019/01 (4)
- 2018/12 (3)
- 2018/11 (1)
- 2018/10 (3)
- 2018/09 (4)
- 2018/08 (3)
- 2018/07 (3)
- 2018/06 (6)
- 2018/05 (11)
- 2018/04 (22)
- 2018/03 (8)
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード

ランキングに参加中!
クリックよろしくお願いします(^O^)/。
フリーエリア
今回、某会のM氏が私に立ち合いを申し込んできた話を書こうと思います。事の発端はyoutubeのコメント欄でM氏が私に対して「他流派を汚している」と言ってきたのが始まりでした。私はM氏に「どの言葉がどこに対して汚しているのか?」と尋ねたのですが、M氏の返答は漠然としていて具体的にどこがどうという返答はありませんでした。それどころかM氏は私に悪口雑言を吐くようになり、私は面倒くさくなったのでM氏をブロックしようとしました。するとM氏は私に立ち合いを申し込んできたわけです。やり取りの場をメールに移すとM氏は某会に所属するMであることを名乗り、私に立ち合いでの勝負を挑んできたというわけです。
で、言いたいことはですね、確かに我が通備拳斬卸会は今はとても小さな小さな会です。それでも会員がいる以上、私にも背負うものがあるわけです。 そしてM氏は某会の名を持ち出して私に勝負を挑んできました。ということは、これは両会のメンツをかけた潰し合いであることを意味します。負けたほうは看板を下ろさざるを得ません。でしたら私は死に物狂いで潰しに行きますよ、たとえ相手が子供や老人だったとしても。それ以前に、私でなかったならば立ち合い所望のメールが来た時点で威力業務妨害で通報されてもおかしくなかったですし、日本には決闘罪というものもあります。M氏は自分のやってることのリスクがどれほどのものなのか、理解してたか疑わしいです。私も徹底的にやってやろうと思ってブログ等に某会の名を書いてやろうと思いましたが、一応某会の代表者に今回のことを了承しているのか確認のメールを出しました。すると、某会は今回のことに一切関知していないという返事がきました。M氏からも結局立ち合い辞退のメールが来ました。
これが今回の顛末になったわけですが、さすがの私もはらわたが煮えくり返る思いです。かつてこれほど非礼な仕打ちを受けた覚えはありません。思うに、百歩譲って私のコメントが他流派を汚してるように聞こえたとしても、M氏は自分のことを言われてるわけではないのだからほっとけばよかったわけです。それが今回の様に執拗に絡んできたのはなぜか?と考えると、M氏は私に興味があった、言い換えると私の技術に興味があったのでしょう。だったら講習会に参加すればいいし、講習会の最後には散手の時間を取るのでそこで手合わせでもすればいいわけです。それが今回のような真似をしたのは、まさかとは思いますが、立ち合いを申し込めば私は受けざるを得ない、するとM氏は無料で私の技術に触れることができる、という講習会費をケチりたいがための思い付きだったのではと勘ぐってしまいます。ま、本当のところがどうなのかはどうでもいいですが言いたいことは、
おいM!二度とメールとかすんじゃねーぞ!!もし教室まで来たときはただじゃ済まさねーから覚悟しろ!!!
で、言いたいことはですね、確かに我が通備拳斬卸会は今はとても小さな小さな会です。それでも会員がいる以上、私にも背負うものがあるわけです。 そしてM氏は某会の名を持ち出して私に勝負を挑んできました。ということは、これは両会のメンツをかけた潰し合いであることを意味します。負けたほうは看板を下ろさざるを得ません。でしたら私は死に物狂いで潰しに行きますよ、たとえ相手が子供や老人だったとしても。それ以前に、私でなかったならば立ち合い所望のメールが来た時点で威力業務妨害で通報されてもおかしくなかったですし、日本には決闘罪というものもあります。M氏は自分のやってることのリスクがどれほどのものなのか、理解してたか疑わしいです。私も徹底的にやってやろうと思ってブログ等に某会の名を書いてやろうと思いましたが、一応某会の代表者に今回のことを了承しているのか確認のメールを出しました。すると、某会は今回のことに一切関知していないという返事がきました。M氏からも結局立ち合い辞退のメールが来ました。
これが今回の顛末になったわけですが、さすがの私もはらわたが煮えくり返る思いです。かつてこれほど非礼な仕打ちを受けた覚えはありません。思うに、百歩譲って私のコメントが他流派を汚してるように聞こえたとしても、M氏は自分のことを言われてるわけではないのだからほっとけばよかったわけです。それが今回の様に執拗に絡んできたのはなぜか?と考えると、M氏は私に興味があった、言い換えると私の技術に興味があったのでしょう。だったら講習会に参加すればいいし、講習会の最後には散手の時間を取るのでそこで手合わせでもすればいいわけです。それが今回のような真似をしたのは、まさかとは思いますが、立ち合いを申し込めば私は受けざるを得ない、するとM氏は無料で私の技術に触れることができる、という講習会費をケチりたいがための思い付きだったのではと勘ぐってしまいます。ま、本当のところがどうなのかはどうでもいいですが言いたいことは、
おいM!二度とメールとかすんじゃねーぞ!!もし教室まで来たときはただじゃ済まさねーから覚悟しろ!!!
スポンサーサイト
今回もこちらの本の感想を書いてみようと思います。
この本の中で堀辺氏は「分母競技」という考え方について述べています。まず初めに断っておかねばならないのは、堀辺氏の追求する「ノールール」の闘いとはUFC大会のようないわゆる総合格闘技(MMA)のような試合らしいということです。まあそれについては、ここでは特に言うことはありません。重要なのは堀辺氏が最終的な目的地であるMMAに向けてどのような経路を設定したのか?というところです。さて堀辺氏はブラジリアン柔術(BJJ)の選手たちが、なぜMMAで優秀な成績を残せるのか不思議に思っていたそうです。なぜならBJJはMMAよりもかなり窮屈なルールで制御されているからです。結論から言えばMMAで重要なのはマウントポジションやガードポジションなどの体勢をとるためのポジショニングであり、BJJはこのポジショニングを極めて安全に身に付けられるようにルール付けされているわけです。つまりMMAはBJJの技術を分母として、その分母の上に分子となるMMA独自の技術を乗せているという構造になっているわけです。このMMAに対するBJJのような競技を堀辺氏は「分母競技」と呼んでいるわけです。分母競技が存在するのはMMAだけではありません。たとえばムエタイにも首相撲という分母競技があります。よくムエタイは打撃格闘技だと誤解されがちですが、じつは中心となる技術は首相撲であり、この首相撲という分母の上に分子となる打撃、投げ、関節の技術が乗っているわけです。さて、ここで問題となるのは、では中国武術にとって分母競技とは何か?と言うことです。それについて私はいろいろな仮説をもってますが、その話はここでは置いとくとして、重要なのは現在の中国武術の世界にもこの分母競技の概念が浸透してほしいということです。現在の中国武術のイメージは漫然と形をやるだけ、もしくは劣化キックボクシングをやるというのが定着していると思います。私はこのイメージを払拭したい と考えているので、以前から提唱している地力の計量化システムを分母競技として提案したいと思います。そして格闘技をやっている人たちに「お前ら本当に強いのか?だったらこのルールで結果を出してみろ!」と言ってやるのが夢ですな(^∇^)ノ
今回はこちらの本を読んだ感想を述べてみたいと思います。骨法については以前にも取り上げたことがありまして、中国武術的に見てとてもよく体系化されていることに驚かされました。今回、その骨法が完成したというこの本が気になったので購入して読んでみたのですが、とても感心させられる内容だったと思います。
まず、この本について私が思う結論を述べてしまうと「骨法とは壮大な実験プロジェクトであり我々中国武術を修行するものはその実験結果をありがたく利用させてもらうべきだ」と言えるでしょう。以下ではどういうことであるかを説明していきます。ちなみに世間的に見た場合、骨法にはよくない評判が流れていることも知っています。しかし今回はそういった評判の部分はシャットアウトして純粋に技術の部分にだけ焦点を当ててみたいと思います。実際に骨法にかかわったことのある方達ならば、どうしても感情のフィルターがかかってしまい的確な評価をできなくなるのかもしれませんが、骨法にも堀辺氏にも全くかかわったことのない私ならば完全に第三者の視点で評価を出来ると思います。
さて、まず最初に述べなければならないのは、この本にはツッコミどころが山ほどあるということです。例えば堀辺氏の想定するノールールの闘いというのはアルティメットファイティングのような試合のことなのかとか…。しかしこういったツッコミどころにもいちいちかかわってたらキリがないので、話題を骨法98手にしぼろうと思います。
私が今回最も関心を持ったのが骨法98手です。なぜかというとそのルールが興味深かったからです。骨法98手は大抵の格闘技では禁止されている金的攻撃が解禁されています。何でも特殊なファールカップを開発することで可能になったのだとか。そして素手による掌底攻撃も可能です。素手の掌底攻撃というのは指が目に入ったり、掌が耳に当たったりすると鼓膜が破けてしまうので大変危険です。よってこちらも大抵の格闘技で禁止されています。一応、眼を狙った攻撃は禁止ということになっていますが、実際問題選手たちはいつ指が目に入ってもおかしくない恐怖の中で闘うことになるわけです。
さてこうなると、以前に私が述べたように重要度が体の中心に集まってくるはずです。ならばその攻防は中国武術の様になるのではないか?と考えるからこそ私はこのルールに興味を持ったわけです。私はこの骨法98手の試合映像が見たくなったのでネットで見れないかと思って探してみたら、なんと有りました。ですがちょっとアレな感じなので画像だけ少し拝借したいと思います。
さて、この骨法98手を見た私の感想ですが、ハッキリ言って北派長拳もしくは通臂系武術の闘い方そのものに見えました。やはり私の予想は当たっていたと言えるでしょう。ちなみに寝技の部分は抜かして考えていますのでご了承ください。
この骨法98手の試合で頻出したのがこの対角線同士の腕が接触するという状態です。

中心の意識が希薄なもの同士の闘いだと平行線同士の腕が接触しやすいのですが、このように対角線同士の腕が接触するということはお互いの中心の意識が濃いということを表しています。次に頻出したのが体の横方向に足を擦りあげるようにしての金的蹴りです。

いわゆるローキックとは全く違う蹴り方で、足甲を斜めにして直線的に金的を狙います。私も馬賢達老師よりこのような蹴り方を習ったことがあります。中国武術の技というのはこのようにお互いの中心への意識が濃い状態を想定して作られているので、この骨法98手は我々中国武術を修行するものにとって、とても貴重な参考資料であると考えます。
ちなみにその後の骨法は完成したはずなのにまたもや技術変化を起こしたようですが、そこまで私の知るところではありません。(´∀`*;)ゞ
現在、通備拳斬卸会の会員数は2名に達することが出来ました。これも皆様からの日頃のご愛顧のおかげでございます。
さてここで、通備拳斬卸会の基本方針を今一度はっきりさせておこうと思います。
まず第一に、代表者は決して神棚には載らないということ。常に代表者自身が会員と技術を競い合う立場に身を置くことを宣言いたします。
そして次に、会員にも套路を学んだらそれで自己満足ということは認めません。
ある程度套路を身に付けた後は散手、つまり対抗性動作、乱取りを経験してもらうことを必修とします。
もちろん散手の強度については個人によって差が出てくるでしょう、しかし最低でも体に触れあう程度のタッチ散手ぐらいまでは全員が経験してもらいたいと思います。もちろん希望者はガチの殴り合いもOKですよo(^▽^)o(スポーツ保険に加入してからね)
そして会員たちの力がついてきた時には他流試合への出場、さらには当会独自のルールによる大会の開催を考えています。(道は遠い)
さてここから先は単なる蛇足なので興味ない方は読み飛ばしてください。
武術系の教室では組手や乱取り稽古をしないところがほとんどです。なぜやらないかと言えば、危険だからできないというのがほとんどではないかと思いますが、もっと突き詰めて言えば自派の技術体系を壊さないような組手ルールを設定できないからということではないかと思います。有名なのが柔道ですね。柔道の創始者である嘉納治五郎は、もともとは現実的な闘争、つまり路上で暴漢に襲われたときなどを想定して柔道のルールを設定したという話ですが、現在の柔道には現実的な闘争ではありえない技、つまりルールの中だけでしか成立しないような技があふれています。この柔道と同じ轍を踏まないために武術系の教室では組手稽古をやらないということだと思います。しかしそうなると武術系教室には、大した実力もないのに偉そうに教えたがる先輩というものが出現しやすくなります。組手稽古という客観的な価値判断システムを持たないがために強さの価値判断がその教室の指導者に一任されてしまう、つまり教室内に指導者の都合に合わせたヒエラルキーを作り出し、指導者に認められた生徒は自分の実力、ひいては自分の存在そのものにまでも過信をしてしまうということです。こうなってしまっては後はカルト集団一直線です。
通備拳斬卸会ではそういったことが起こらないよう文句があるときは散手で決着をつけろということを推奨しています。通備拳斬卸会では套路で養った地力を生かせるように散手ルールを設定していますので、互いの地力を認め合うことができればわだかまりも消えるだろうと考えます。
通備拳斬卸会は現在の中国武術全体の実力を貶めている人達に対するアンチテーゼとして存在していきたいと思います。
さてここで、通備拳斬卸会の基本方針を今一度はっきりさせておこうと思います。
まず第一に、代表者は決して神棚には載らないということ。常に代表者自身が会員と技術を競い合う立場に身を置くことを宣言いたします。
そして次に、会員にも套路を学んだらそれで自己満足ということは認めません。
ある程度套路を身に付けた後は散手、つまり対抗性動作、乱取りを経験してもらうことを必修とします。
もちろん散手の強度については個人によって差が出てくるでしょう、しかし最低でも体に触れあう程度のタッチ散手ぐらいまでは全員が経験してもらいたいと思います。もちろん希望者はガチの殴り合いもOKですよo(^▽^)o(スポーツ保険に加入してからね)
そして会員たちの力がついてきた時には他流試合への出場、さらには当会独自のルールによる大会の開催を考えています。(道は遠い)
さてここから先は単なる蛇足なので興味ない方は読み飛ばしてください。
武術系の教室では組手や乱取り稽古をしないところがほとんどです。なぜやらないかと言えば、危険だからできないというのがほとんどではないかと思いますが、もっと突き詰めて言えば自派の技術体系を壊さないような組手ルールを設定できないからということではないかと思います。有名なのが柔道ですね。柔道の創始者である嘉納治五郎は、もともとは現実的な闘争、つまり路上で暴漢に襲われたときなどを想定して柔道のルールを設定したという話ですが、現在の柔道には現実的な闘争ではありえない技、つまりルールの中だけでしか成立しないような技があふれています。この柔道と同じ轍を踏まないために武術系の教室では組手稽古をやらないということだと思います。しかしそうなると武術系教室には、大した実力もないのに偉そうに教えたがる先輩というものが出現しやすくなります。組手稽古という客観的な価値判断システムを持たないがために強さの価値判断がその教室の指導者に一任されてしまう、つまり教室内に指導者の都合に合わせたヒエラルキーを作り出し、指導者に認められた生徒は自分の実力、ひいては自分の存在そのものにまでも過信をしてしまうということです。こうなってしまっては後はカルト集団一直線です。
通備拳斬卸会ではそういったことが起こらないよう文句があるときは散手で決着をつけろということを推奨しています。通備拳斬卸会では套路で養った地力を生かせるように散手ルールを設定していますので、互いの地力を認め合うことができればわだかまりも消えるだろうと考えます。
通備拳斬卸会は現在の中国武術全体の実力を貶めている人達に対するアンチテーゼとして存在していきたいと思います。
| ホーム |