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gongze

Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。

本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
入会や講習会についてのご案内は通備拳斬卸会HPを御覧ください。

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2018年最後の更新

今回が今年最後のブログ更新になります。今年の成果はなんと言っても当会に会員が誕生したこと、そして八極拳用の自由組手ルールを二つ作成できたことが大きいと思います。既存の中国武術教室の多くは形だけで自由攻防の練習はしません。例え自由攻防の練習があったとしても自派の技術体系を崩さないようなルール設定が出来ていません。そんな中において当会は分母競技という概念を取り入れて、おそらく世界で唯一八極拳のための自由組手ルールの開発に成功したと言えるでしょう。まあそれについてとやかく言う人がいるかもしれませんが、私が言えることは一つ、文句言う前にとにかくいっぺんやってみろ!と言うことですね。やはり武術の技は実際に使ってみてなんぼです。形だけやって名人達人の気分に浸ったところですぐに飽きてしまいます。人間というものは「本当のところが知りたい」という知的好奇心の塊であると思うので、そういったニーズに応えてくれるものこそが武術であると考えています。来年は劈掛や翻子、さらには武器術といった自由組手ルールの開発をしていきたいですね。今後は私の考え方を踏襲して自分の門派の技術体系を壊さずに組手ルールが設定できる人が増えてくるとよいと思います。それでは皆様良いお年を(^_^)/~
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馬賢達著 中国短兵

tanhei.png
こちらは会員のS氏より当会に寄贈していただいた馬賢達老師の著書「中国短兵」です。
おそらく馬賢達老師による唯一の技術書と言えるのでとても貴重なものです。Sさんありがとうございます!
短兵の技術書ではあるのですが武術全般に通底するような内容もあって大変興味深いものとなっております。
そこで、私なりに面白そうな部分をピックアップして和訳をし、日本の中国武術愛好者の皆様のために供したいと思います。
ただし、冗長な部分を相当端折っており、古風な言い回しをかなり平易に言い換えていることをご了承ください。 
原文を載せておきますので興味のある方はこちらをご参照ください。
また、こちらの書籍は当会の会員になられた方は閲覧が可能となります。
kiji1.png
キャプチャ

           短兵格闘の歴史的淵源

中華民族5000年の文明史において、剣刀文化は重要な部分をなしている。剣刀文化は悠久の歴史を持ち、中華民族の原始労働のなかで芽生え、進歩し、発展してきた。原始における人の集団は生きるために、獣と戦い、人と戦い、自然と戦い、部族間の闘争までもしてきた。生産活動とはいえども道具を用いて争ったし、また、生産工具とはいえども武器の要素を含んでいた。無論、石や木、あるいは自然を器具として用い、その器具を応用する技能や方法は皆、後の兵器を生み出す母体となった。「原始人の狩りは競技ではなく生きるための生産活動だ」といわれるけれども、この果てしなく長い生産活動がすべての文化を育んだのであり、格闘技能とともに長さも材質も違う道具を運用するということは、真っ先に各種の兵器の萌芽を思わせられるのである。だからこそ、短兵器の発生と発展、中華民族文化の発生と発展とは機を一にしていると言え、かつ民族文化の発展過程上重要な位置を占めていると言えるのである。今日いうところの短兵史とはつまり剣刀史である。短兵とはいわゆる歴史上の剣刀を代表とするような短兵器の総称である。もちろん厳格に述べるのであれば剣と刀には各自の発展史があるが、刀については詳しくは述べない。短兵の中で主要な地位を占める剣史に加えて簡単に述べ、もってあらましを明らかにするのみである。はるかな昔、紀元前770年~紀元前220年における東周の時代、剣の形成は定まり、すでに深奥な剣法理論が存在した。中華民族の武術発展史をざっと見るに、剣刀の進歩史は紀元前の数百年間の間に剣法理論や鋳造法など多方面において一時の隆盛を極めたであろう。ゆえにそれは後の進歩と発展において重厚な基礎を築いたといえる。例えば呉越の時代、天下の宝剣の鋳造者である干将・莫邪夫妻の鋳する剣は天下無比であったと歴代の史家が史書典籍に載せて代々伝えている。この時代は、剣法の巧手をも輩出していた。春秋の後期、越国の女子(「越女」と称する)の剣法は群を抜き、誰も敵わなかった。越王勾践は呉を討伐するため、越女に剣法を教えてくれるよう求めた。越女は言う、「その道は易くその意は深し、道に門あり、また陰陽あり。おおよそ手を使う戦いというものは、内は精神が充実し、外は柔和で穏やかである。見るは愛想のよい婦人のようであり、奪うは獰猛な虎のようである。(以下略)」。越王はこれを聞き越女に敬意を示し、越女に命じて当時誰も敵わなかった越女の超高等剣技を将軍や兵士に教えさせた。春秋時代の越女の剣法と剣術理論は、後世の剣壇において著名な典籍となった。二千数年前、越女を女子剣撃の代表として、剣術理論は超絶に高まっていたようである。思うに、夫権社会の当時において男子剣法すらも遜色を失っていたであろう。実際、当時の剣技、剣論の凄さは後代においても推賞と承認をうけ、流行し定着し進歩発展していった。
三国時代、魏文帝曹丕は一代の帝王にして建安文学の創始人の一人であり、その剣術の高さは歴史上の名剣家の一人に数えられている。曹丕は幼き頃より武術を学び騎射弓矢は終身衰えず、さらに剣法は多くの師についており、かつては河南の史阿から学び同時に名剣手の王越の正伝を得ている。ある日、相撲の名手である将軍郭展と剣について論じあった。酒が入って熱くなり、二人は芋を剣の代わりにして腕比べをした。曹丕は郭の腕を三度打ったが郭は納得せず、もう一度やろうということになった。郭展は今度は額を打たれた。曹丕と郭展の剣法試合の故事は後世の武壇の良い話となった。我々はこのことから二千年前も剣法が盛んであったことを知ることができる。以後の時代においても剣術及び刀術は軍事、武術、社会の中でずっと盛んな位置を占めており、歴代の伝習過程において蓄積された剣技と剣論は後代にまで残る貴重な財産である。
近代になって火器が広汎に使用されるようになり、剣刀は軍事的な重要性は低くなっている。しかし、剣法と剣術、そして剣そのものの社会的価値と精神性は当時に劣るものではない。私の師である馬鳳図先生について記憶していることがある。幼年時の私に剣術と剣学を伝授するときに、剣学は君子の学だと言っておられた。馬鳳図先生は言う、「剣の形は人体に似ている。剣纂は人の頭に似て剣柄は人の頸に似る、剣鍔は人の両肩に似て剣身は人の躯体に似る。剣を持つあるいは佩くということは君子とともにあるようなものだ。君子のように身を正すべし」。まずは身を正し、君子の雰囲気を才とし、君子の徳で身を立てる。先代達が伝授したものは深遠な武徳教育を含んでいたのだ。これぞまさに中国古代文化と礼教の根本であると言える。
歴史の流れを近現代までくだり社会の名流を総観するに、官吏貴人から学者紳士に至るまで、やはり剣の気風は衰えず、人々は剣を習い剣は優雅さを醸していた。すなわち文人学士もまた、庁堂書斎に宝剣を懸けて高貴さのシンボルとしていたのである。剣と剣技は中国文化において崇高な地位を占めていると言える。
浩瀚の歴史典籍の中に剣術で比武をするような描写を探すのは難しく、剣術の資料とすることはできない。このことは後の人が剣術を追求し深奥へ至ることに対して大きな空白を残した。短兵はまさに継承と追求の中で必然的に生まれた変革の産物であり、根源よりゆるぎなく遥かな流れの中にあるものだと言える。

八極拳の分母競技第2弾!その名も八極ボクシング

今回は八極拳の分母競技の第二弾を紹介したいと思います。前回紹介した八極相撲は取っ組み合いの地力を養うものでしたが、今回紹介するのは八極拳における打撃の地力を養うためのものです。名付けて八極ボクシングと言います。基本的なルールはボクシングと一緒ですが通常のボクシングとは大きく違うところがあります。それは攻防の出だしにおいて八極相撲の形を強制的に取らせるというところです。八極相撲では右手の手首を左手で掴ませましたが、八極ボクシングではグローブをはめているので右手のグローブの手首あたりに左手のグローブの拳部分を接触させた形にします。これでグローブをはめていても八極相撲と同じような構えをとることができます。最初はお互いの間合いが離れたところからスタートするので、このときは双方とも八極相撲の構えを強制的に取らされることになります。そしてお互いの間合いが詰まり攻防が開始されるわけですが、この攻防は必ず八極相撲の構えから開始することになります。そして攻防が途切れ再び間合いが離れたときは、すぐさま八極相撲の構えを双方ともに取ります。つまり、相手との間合いが離れているときに両拳を離したボクシングみたいな動きをすることを禁止するというわけですね。今回の八極ボクシングも、もちろん槍の技術と身法を打撃練習において生かすためのルールです。強制的に両拳を体の中心へとまとめさせることで、ここから打撃を打ちたい場合は必然的に体の中心から発する力を用いて打撃を打たざるを得ません。槍を扱ったことのある方ならわかると思いますが、槍というものは体の中心から発する力を用いなければうまく操れるものではないのです。ですから槍の扱いに習熟した人ほどこのルールでは有利に戦えると言えるでしょう。このルールについて当会の会員から「このルールはボクシングをやっている人の方が有利なのではないか?」と質問を受けました。そこで私は八極相撲の構えをとって「ではこの状態から、いったいボクシングはどうするのですか?どう攻めてくるのですか?」と問いただしたところ、会員は答えられなくなってしまいました。以前にも述べた通り八極拳とボクシングでは体の使い方が真逆なのです。体側から体の中心に向かって振り回すような打撃を打つボクシングに対し、八極拳は体の中心から外の方向へ打ち出すように打撃を打ちます。ですからボクシングしかやったことない人がこの八極相撲の構えをとらされた時、とんでもない違和感を覚えるでしょう。それに対し我々八極拳をやるものにとって、この構えはむしろ安心感を覚えます。もちろん八極相撲の構えから無理やりボクシング的な軌道のパンチを打ち出すということも考えられますが、その場合、一度ボクシング的な構えに戻してからパンチを打つような形になり非常に手間がかかります。体の中心から直線的に突きを打てる者の方がこのルールでは圧倒的に有利でしょう。
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むしろボクシングしかやったことのない相手にこのルールでも負けるというのであれば八極拳なんかやめちまえ!と言っても過言ではないと思います。(まあ世の中には天才ボクサーみたいな人もいますからそういうのは例外として(^_^;))
とにかく、いずれ八極拳の手合わせ稽古会を開きたいと思っているので、その時には八極相撲とともにこの八極ボクシングも参加者に体験してもらいたいですね。
それと言うまでもなく、この八極ボクシングルールは拡張の余地があります。いずれは足裏を用いた蹴りや、防具を使用しての肘打ちも解禁してやってみたいですね。そしてこの八極相撲の構えは実は八極対接の秘密を解くカギになっていたりもします。それについてもいずれは公開していきますね。(^-^)/

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