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Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。
本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
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タイトルは某動画の受け売りだったりします。
中国武術には拝師という制度があります。これは表向きには「人格と実力を認められた者が正式弟子として採用される」という制度となっています。
しかし,実態はどうかというと,完全にディプロマミルと化しているといえるでしょう。
要するに権威をお金で買っているにすぎないと。
別にそれが悪いことだとは言いません。尊敬する師匠との結びつきを感じたいとか,精神的支柱として拝師という制度に携わるというのであれば,それはそれでよいことではないでしょうか。
しかし,自分が拝師弟子であることを「自慢」しだしたら,それはもはや終わっているのではないかと思います。
そもそも拝師のための実力とやらはどのように査定されたものであるのか。
これが柔道であれば,初段を取るためには四人と試合をして二人以上に勝たなければならないなどの明確な評価基準があります。しかし,残念ながら現在の武術の世界には明確な評価システムというものが存在しません。
ですから,拝師弟子になれるかどうかというものは主に弟子をとる側の金銭的な思惑で決定するということがほとんどになってしまっているわけです。
繰り返しますが,別にそれが悪いことだとは思いません。
当人同士の間で完結していることであるのなら,外部が口を出すことではないでしょう。
しかし,外部に対して自分が拝師弟子であるということを誇示するようになったら終わりです。
考えてみてください。もし今ここ何か素晴らしい技術なり文化なりがあったとします。そしてその存在を外部に対して伝えたいとしましょう。
だったらそれを見せればいいだけです。いちいち「私は~という流派で正当な弟子と認められてその流派は~の時代から続く伝統のあるもので~という有名な達人がいて私はそんなすごい流派をやっているんですよ。」とか言う必要は無いわけです。
逆から言うならば,見せられるものが無いから拝師だの歴史だの達人伝説だの,自分の手柄では無いようなものをアピールするわけです。
武術というものは物理と論理で組み立てられているものです。それ以外のもので武術を語る人はあまり信用するべきではないでしょう。もちろんそれを判断するためにはこちら側にもそれなりの情報リテラシーが求められるのは言うまでもありません。(^-^)/
中国武術には拝師という制度があります。これは表向きには「人格と実力を認められた者が正式弟子として採用される」という制度となっています。
しかし,実態はどうかというと,完全にディプロマミルと化しているといえるでしょう。
要するに権威をお金で買っているにすぎないと。
別にそれが悪いことだとは言いません。尊敬する師匠との結びつきを感じたいとか,精神的支柱として拝師という制度に携わるというのであれば,それはそれでよいことではないでしょうか。
しかし,自分が拝師弟子であることを「自慢」しだしたら,それはもはや終わっているのではないかと思います。
そもそも拝師のための実力とやらはどのように査定されたものであるのか。
これが柔道であれば,初段を取るためには四人と試合をして二人以上に勝たなければならないなどの明確な評価基準があります。しかし,残念ながら現在の武術の世界には明確な評価システムというものが存在しません。
ですから,拝師弟子になれるかどうかというものは主に弟子をとる側の金銭的な思惑で決定するということがほとんどになってしまっているわけです。
繰り返しますが,別にそれが悪いことだとは思いません。
当人同士の間で完結していることであるのなら,外部が口を出すことではないでしょう。
しかし,外部に対して自分が拝師弟子であるということを誇示するようになったら終わりです。
考えてみてください。もし今ここ何か素晴らしい技術なり文化なりがあったとします。そしてその存在を外部に対して伝えたいとしましょう。
だったらそれを見せればいいだけです。いちいち「私は~という流派で正当な弟子と認められてその流派は~の時代から続く伝統のあるもので~という有名な達人がいて私はそんなすごい流派をやっているんですよ。」とか言う必要は無いわけです。
逆から言うならば,見せられるものが無いから拝師だの歴史だの達人伝説だの,自分の手柄では無いようなものをアピールするわけです。
武術というものは物理と論理で組み立てられているものです。それ以外のもので武術を語る人はあまり信用するべきではないでしょう。もちろんそれを判断するためにはこちら側にもそれなりの情報リテラシーが求められるのは言うまでもありません。(^-^)/
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