プロフィール
Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。
本格中国武術教室通備拳斬卸会、現在会員募集中です!
入会や講習会についてのご案内は通備拳斬卸会HPを御覧ください。
リンク
最新記事
- 2023年のお知らせ (06/02)
- 拝師を自慢する奴はほぼほぼクズ (02/16)
- 体験入会に来た方とお手合わせしました。 (12/26)
- 神秘系武術から迷信系武術へ (12/03)
- あんなことができれば苦労はしない。 (08/03)
最新コメント
- gongze:体験入会に来た方とお手合わせしました。 (01/02)
- 新堂功太郎:体験入会に来た方とお手合わせしました。 (01/02)
- gongze:あんなことができれば苦労はしない。 (12/05)
- 名無しに返信は不要:あんなことができれば苦労はしない。 (12/05)
- gongze:あんなことができれば苦労はしない。 (11/17)
- 佐々木:あんなことができれば苦労はしない。 (11/17)
- 名無しに返信は不要:2023年のお知らせ (08/26)
月別アーカイブ
- 2037/06 (1)
- 2022/02 (1)
- 2021/12 (2)
- 2021/08 (1)
- 2021/07 (4)
- 2021/04 (1)
- 2021/02 (2)
- 2020/12 (1)
- 2020/05 (1)
- 2020/04 (2)
- 2020/03 (2)
- 2020/01 (1)
- 2019/12 (1)
- 2019/11 (2)
- 2019/10 (4)
- 2019/09 (3)
- 2019/08 (2)
- 2019/07 (2)
- 2019/06 (4)
- 2019/05 (3)
- 2019/04 (3)
- 2019/02 (2)
- 2019/01 (4)
- 2018/12 (3)
- 2018/11 (1)
- 2018/10 (3)
- 2018/09 (4)
- 2018/08 (3)
- 2018/07 (3)
- 2018/06 (6)
- 2018/05 (11)
- 2018/04 (22)
- 2018/03 (8)
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード

ランキングに参加中!
クリックよろしくお願いします(^O^)/。
フリーエリア
ごく普通の人達にとっては武術も格闘技も同じようなものであろうと思います。
しかし両者には決定的な違いがあります。
武術と格闘技の違いについて、ある人は「武術とは格闘技で禁止されるようないかなる技も使えるものだ」と言い、
またある人は「武術の戦いは生きるか死ぬかの真剣勝負で格闘技のようにやり直しができるものではないのだ」と言ったりします。
しかし、そういった意見はいわば精神論的な観念を述べているにすぎず具体的に武術と格闘技がどう違うのかを述べているものではありません。
では具体的な武術と格闘技の違いとは何なのか?まずは格闘技とはどういうものであるのかを考えてみましょう。
当たり前のことですが格闘技には必ずルールブックというものが存在します。
そこには試合場の広さや試合時間、服装や反則行為などがきっちりと明記されています。
つまり格闘技は戦いの局面というものががっちりと固定されているわけです。
それに対して武術の戦いはどうでしょうか?
武術にはルールブックなどというものは存在しませんし、戦いの状況も常に一定ではありません。
一人だった相手が複数になったりアスファルトだった地面が砂利道になったり素手だった相手が武器を持ったりということが起こります。
つまり時間とともに局面が推移するわけです。
この局面の推移こそが格闘技と武術の決定的な違いなのです。
さて、ここで一つ疑問が生まれます。格闘技ならば固定された局面だけを想定して戦術を組んだりトレーニングを設定することができますが、武術のように局面が推移してしまうのならばいったい何を想定して練習を積めばいいのでしょうか?
そこで高校時代に数学で習った論理集合の単元を思い出してみてください。A∩Bとか言うアレです。そんなの知らねーよという方は、まあこの記事は読み飛ばしてくれて問題ありません(^∇^)
様々な局面を集合とみなして記号で表現してみましょう、例えば相手が二人いる状況を局面A、相手が二人で武器を持っている状況を局面B、相手が三人で足場が砂利道の状況を局面C…などというように様々な局面を想定して記号で置き換える、
そしてA∩B∩C∩D∩…というように無限に∩集合を取っていく、すると最後に何が残るでしょうか?
答えは身体の使い方(身法、身体操作)です。
どんな局面になろうとも身体の使い方だけは不変とすることができます。人間というものは意識の用い方によって様々なタイプの体使いをすることができますが、局面ごとに別個の体使いを行っていてははなはだ不合理です。そこで単一の体使いをもって様々な局面への対応をすること、これこそが武術の持つ仕組みなのです。例を挙げれば劈掛拳の場合、劈と掛という二つの動作が大元となって組み合わされることで様々な拳術の技を生み出す、と同時に剣や槍の操作も可能にします。つまり劈と掛の動作を複数の局面に対応させることができるわけです。よって武術の練習とは最初に大元となる動作を学び、それを複数局面へ応用変化させる経験をつむことで上達を促すものであると言えるでしょう。
しかし両者には決定的な違いがあります。
武術と格闘技の違いについて、ある人は「武術とは格闘技で禁止されるようないかなる技も使えるものだ」と言い、
またある人は「武術の戦いは生きるか死ぬかの真剣勝負で格闘技のようにやり直しができるものではないのだ」と言ったりします。
しかし、そういった意見はいわば精神論的な観念を述べているにすぎず具体的に武術と格闘技がどう違うのかを述べているものではありません。
では具体的な武術と格闘技の違いとは何なのか?まずは格闘技とはどういうものであるのかを考えてみましょう。
当たり前のことですが格闘技には必ずルールブックというものが存在します。
そこには試合場の広さや試合時間、服装や反則行為などがきっちりと明記されています。
つまり格闘技は戦いの局面というものががっちりと固定されているわけです。
それに対して武術の戦いはどうでしょうか?
武術にはルールブックなどというものは存在しませんし、戦いの状況も常に一定ではありません。
一人だった相手が複数になったりアスファルトだった地面が砂利道になったり素手だった相手が武器を持ったりということが起こります。
つまり時間とともに局面が推移するわけです。
この局面の推移こそが格闘技と武術の決定的な違いなのです。
さて、ここで一つ疑問が生まれます。格闘技ならば固定された局面だけを想定して戦術を組んだりトレーニングを設定することができますが、武術のように局面が推移してしまうのならばいったい何を想定して練習を積めばいいのでしょうか?
そこで高校時代に数学で習った論理集合の単元を思い出してみてください。A∩Bとか言うアレです。そんなの知らねーよという方は、まあこの記事は読み飛ばしてくれて問題ありません(^∇^)
様々な局面を集合とみなして記号で表現してみましょう、例えば相手が二人いる状況を局面A、相手が二人で武器を持っている状況を局面B、相手が三人で足場が砂利道の状況を局面C…などというように様々な局面を想定して記号で置き換える、
そしてA∩B∩C∩D∩…というように無限に∩集合を取っていく、すると最後に何が残るでしょうか?
答えは身体の使い方(身法、身体操作)です。
どんな局面になろうとも身体の使い方だけは不変とすることができます。人間というものは意識の用い方によって様々なタイプの体使いをすることができますが、局面ごとに別個の体使いを行っていてははなはだ不合理です。そこで単一の体使いをもって様々な局面への対応をすること、これこそが武術の持つ仕組みなのです。例を挙げれば劈掛拳の場合、劈と掛という二つの動作が大元となって組み合わされることで様々な拳術の技を生み出す、と同時に剣や槍の操作も可能にします。つまり劈と掛の動作を複数の局面に対応させることができるわけです。よって武術の練習とは最初に大元となる動作を学び、それを複数局面へ応用変化させる経験をつむことで上達を促すものであると言えるでしょう。
スポンサーサイト
<< これでいいのか?八極拳 | ホーム |
コメントの投稿