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Author:gongze
FC2ブログへようこそ!
初めまして宮沢雅宏と申します。
中国の西安において馬賢達老師と
田春陽老師より中国伝統武術である
通備拳を学んでまいりました。
このブログには武術に関する理論やエッセイを掲載してまいります。
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こちらは我らがトニー譚先生のありがたいお言葉です。
花拳繍腿という言葉をご存知でしょうか?花拳とは花のように飾った拳、繍腿とは刺繍をしたような腿という意味です。つまり花拳繍腿とは見た目ばかり華やかで中身が伴わない武術のことを表現したものです。好看とは見た目の良さのこと、つまり好看無用とは本物の武術に見た目の良さは必要ないということを表しているわけです。
しかし、平和な時代においては花拳繍腿こそが好まれるようです。例えばテレビに出てミットを持たせた弟子を「発勁」などと称する突きで吹っ飛ばしたり(ヤラセです)、門下生に有名人がいることを自慢したり(武術の実力には無関係)、やたら伝承者だの免状だのと肩書ばかり強調したり(実力には無関係)、派手なナイフの振り回し方を「護身術」などと称して高額で教えたり(護身関係ないやん)、こういったことは全て花拳繍腿であるといえます。
しかし、ビジネスという観点で考えた場合、花拳繍腿は仕方ないのかもしれません。なぜならばそもそもビジネスというものの本質が何も知らない素人を騙して成り立っているという面があるからです。例えば、成分は同じ化粧水なのに一方は瓶だけ立派にして高値で売る、もう一方はプラスチックの安物容器に入れて安く売る、するとなぜか立派な瓶に入れた化粧水の方がよく売れてしまうわけです。こうしたやり方を武術で行っているのが花拳繍腿なのです。そういえば明代の戚継光将軍も花拳繍腿を強く非難していましたね。やはり平和な時代に武術が見世物化するのは普遍的な事なのかもしれません。
まあ武術がそれなりに花拳繍腿と化すのは仕方がないのかもしれませんが、現在はそちらの方向にばかり傾倒する人しか見当たらず非常に残念に思います。本当に武術を普及したいのであれば見せかけではなく真っ当なやり方で行うべきでしょう。真っ当なやり方とは、例えば中国武術の場合、套路の技をきちんと自由攻防で使いこなす方式を広めて行くべきだということです。私自身は、武術というものは教育や身体育成の観点において非常に優れた素材であると考えています。しかし、こんな見世物ばかりが世に広まってしまっては武術の世界に誤解とカルトばかり招いてしまうことになります。 それは結局、武術という文化を貶めて矮小化させるだけでしかありません。套路の技を自由攻防で使いこなす方式を広めることができれば、人々はよりうまく技を使いこなそうと工夫するようになります。工夫して上達することは嬉しさにつながります。また、他格闘競技の真似をする、つまり安易に自分に都合のいい考え方に飛びつくことの愚かさも知ることができます。自分で工夫して達成する喜びを得ることが社会生活においてもいかに重要かは述べるまでもないでしょう。こうした観点を持ち合わせず お約束のマンネリ稽古ばかり教えるところは現代において淘汰されるべきだと私は考えます。
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